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フォーカシングとスピリチュアリティ:仏教

ロジャー・レビン(Roger Levin)
フォーカシング・トレーナー USA
rlevin@igc.apc,org

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アメリカの瞑想の師、ロバート・アイトキンス老師は、かつて、禅仏教の序論として、ダルマ(法)の探求を真剣に始めている学生にとって、フォーカシングを学ぶことほどよい準備はありえないと、勧めていました。仏教のダルマによれば、自己認識と世界観、実際には私たちがもつあらゆる現実観は、意識未満の固定化され習慣化した注意力で構成されています。そしてこの注意力は、楽しみを最大化し痛みを回避するために、体験過程を抑制することを意図した、条件づけられた防衛的判断のパターンへと固着されていくのです。しかしながら、逆説的ですが、仏教の見方では、人間の苦悩の根本原因はまさに、これらの体験過程への執着とか条件づけられた習慣なのです。ですから、仏教的瞑想のシステムは、修行を通して条件づけられた注意力を過激に消去する方法を教えます。その修行は、非審判的な、二元的でない、無条件の、それゆえ、あらゆる経験の下で限りなく開かれた、あり方(プレゼンス)を明らかにします。

二つの点で、フォーカシングは仏教の修行のために最良の準備として効果があります。一つは、精神的な訓練として考えると、フォーカシングは、修行者が、単に痛みに圧倒されるか、ただ悪い感情はすべていっしょくたに避けるかの、通常、行き詰まりの位置の、ちょうど中間の生産的な足場を見つけるために、よりゆったりした注意で体験に近づく方法を教えてくれます。このように、フォーカシングは、問題に対して解釈したり反応する習慣的な非生産的なやり方への執着をゆるめることに効果があります。二つ目に、身体的な訓練として、フォーカシングは、修行者に、微妙なからだで感じる体験への照合によって注意をガイドすることを教えます。これは、文化的習慣から、身体を一種の機械として解釈し、意味の創造における身体の決定的な役割を無視している近代の西洋的感受性にとっては、ことさら重要です。一方、仏教の基礎は、体現された知恵への暗黙のかかわりにあり、それは、微妙な身体的信号に従うような注意の向け方を準備として訓練されていない西洋の学生にはとても近づきがたいものかもしれません。

要するに、フォーカシングは瞑想の正念(マインドフルネス)の基礎を作る二つの基本的な技法につながっています。一つは自己の体験過程の習慣的に条件づけられた方法への執着をゆるめる、すなわち、注意の弛緩と、二つ目は身体的な感覚によって自己の体験過程をガイドすることです。これらの準備の技法は、仏教のダルマを理解し、正しい修行をするために本質的なものです。身体的にガイドされる注意を、沈殿した人生の問題との取り組みと連繋させることは、西洋の治療場面ではユニークであるばかりでなく、禅やタントラ教のような西洋でもっとも一般的に教えられている深遠な仏教の形態においても十分に言い尽くされているわけではありません。

(訳: 大澤美枝子・土江正司・木田満里代)                   

Last Modified: 18 July 2005

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