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Focusing is Great!
フォーカシングはすごい!

Lyman Griffin, Georgia, USA
ライマン グリフィン(ジョージア州、アメリカ合衆国)

 

ライマンはこの秋、大学に入学する。彼はウエブサイトを作り、フォーカシングのすばらしさについて彼の経験をシェアしたいと思っている。そして強迫性障害に苦しむ若者の助けになりたいと思っている。彼のアドレスは、 FizFazz@aol.com

私がこの記事の依頼を受けたとき、その機会に飛びつきました。というのは、私の生活全体がフォーカシングを利用することを通じて、180度変化してきているからなのです。私は今は18才ですが、私が幼かった時に、私の母がフォーカシングを見つけてきたので、実際にはほとんど一生、フォーカシングについて知っていたのです。しかしながら、私はフォーカシングが何なのかを本当に正確に知っていたわけではありません。色んな「感じ」に「触れて」いきながら、二人の人が話をしながら座っているものという風に、私はいつもそれを思い描いていました。だから、フォーカシングが本当にわかったと私の生活を変わってきたのは、わずか4ヶ月前のことでした。フォーカシングは気持ちに触れることではありませんでした、もっとそれ以上のことだったのです。

過去6年間の間、強迫性障害と呼ばれる精神的「病」を患っていました。私は12才位のときに発病したのですが、突然何度も繰り返し心の中で、ののしるようになったことに気がつきました。CTスキャンを受けたり、薬を処方してくれた精神科医に会いに行ったことを含めて、自分の助けになるような様々なことを試しました。ところが、医師たちは、強迫性障害と呼ばれるものを本当に知らなかったし、医師たちはそれを、薬以外では治しようがない生物学的な脳の障害という風に思い描いていました。2〜3週間薬をの飲んだ後、私は薬を飲むのを止めました。薬は自分の気分を悪くさせたので、自分自身でこの問題を解決しようと決心したのです。そして私は、ある範囲内でそれができました。どこからともなく降って沸いてくるように思えたそうした厄介な思考を、無視できる手助けをしてくれるような様々なトリックを使ってみました。そして、比較的健康に生きました。例えばスポーツをしているときのように、ストレスがあるときだけ起こるようになりました。私は、“As Good As it Gets”という映画を観たとき、私がそれと似通った障害を発病していたため、主人公がなぜ歩道の割れ目を歩かなかったかということのユニークな推測を持てたと感じました。私は、もしも割れ目を歩いたら、何か怖ろしいことが起こるのではないかと恐がっていたのです。そして、それが不合理な怖れだと気づいていながら、それは自分にとっての現実だと感じました。

それから、高校2年のとき、私はフランスで過ごすことにしました。私が一年後に戻って来たとき、私の強迫性障害の問題は、いっそう悪くなりました。私は完全に気が狂っていくように何度も感じました。それほど悪かったのです。そしてもう一つ、私の胃に不安感があって、それは無くなることはありませんでした。まるで悪夢でした。それから、ある日、母は、私の助けになりそうな本を山積みにしてもってきてくれました。私はそれらにざっと目を通しました。そして、一冊が目に留まりました。それは、アン・ワイザー・コーネルの“The Power of Focusing”(「やさしいフォーカシング」)でした。私はそれを読み始めて、これがちょうど私が必要としていた本だったことに気づきました。

私はその後ずっとフォーカシングを継続的に行いました。それはとても嬉しいことに、私は、完全に強迫性障害を治すことができることがわかりました。しかしそれだけでなく、今は強迫性障害がいったい何であるかが理解できるようになりました。それは精神的な病ではなく、事実、人の脳が完璧に秩序どおり働いているということの証拠なのです。強迫観念は、ののしろうとする自分自身の内側にある抑圧された欲求の現れだったのです。しかし私は、自分がこの欲求をもっていたということを受け入れるのをずっと拒絶していました。だから私は、そうした欲求を追い出そうとして、自分自身から生じた思考を切り離しました。しかし、そのとき、もちろん「おい、これが君なんだよ。君は自分自身を無視できないんだ」という具合に、私の抑圧された思考はいっそう激しくなって跳ね返ってきました。

フォーカシングについての革命的なこととして挙げられるのは、フォーカシングでは「人のからだの中にある全ての緊張のかけらは、実際に人が抑圧した感情である」ということを示しているということです。私たちは皆、誰かに対して怒っていながら、そのとき、自分自身に対して、「いいえ。私は怒ってはいけない」と言っていて、まるで私たちは怒っていないかのように振る舞っている、といった体験をもっています。しかし、私たちの中の一部の人たちは、私たちが実際に怒っていることに気づいています。そしてこれは、からだの中で抑圧された緊張として現れます。それから、後に、その同じ人が自分たちを悩ますちっぽけな何かを行うときに、私たちは爆発するのです。これは、人の激しい爆発で怒りが全て出てくるまでに、私たちが蓄積し保持してきた「怒り」の緊張であるからです。からだはずっとくつろいでいられることを欲しています。そして、怒りは、その「怒り」の緊張を解放する一つの方法です。しかし、フォーカシングはもう一つの方法なのです。フォーカシングは、緊張の理由となることに屈しないながらも、緊張を解放するのです。例えば、私の場合、フォーカシングを学んで、強迫観念を取り除くように、ののしるらなくてもよくなったのです。私は、私のからだの中でののしろうとする欲求の緊張や「フェルト・センス」を見つけ、また、精神的に、それがあるがままであると肯定すればよかったのです。フォーカシングを学んだ後、私の強迫観念は、私が抑制していた友人になりました。私がこれを発見したとき、強迫性障害という問題だけのために、決して解決することがないのに医師たちが人々に処方する薬の恐怖を知ったのです。

ある日学校で、私は立ち上がって、私が昨年始めた「究極のフリスビークラブ」について、学校全体の前で発表しなければなりませんでした。私は、自分の胃の中にひどく神経質な「感じ」を持ち始めました。私は、「大丈夫だ。君は、とても大勢の人々の前で立ち上がって話すことにただ怯えているだけなんだ」と言うことによって、自分自身を落ち着かせようとしました。しかし、それは役に立ちませんでした。そのとき、私はその「感じ」にフォーカスすべきだと気づきました。すると、私は「究極のフリスビー」を実際に憎んでいた「感じ」を抑圧していたことに気づきました。それが本当に私を悩ませていたものだったのです! そして、私は、一旦これを理解すると、心臓がドキドキするようなことも無くなりました。もちろん、私は「究極のフリスビー」を行うのがまだ今も好きです。体験を通して知ったのですが、「感じ」をそれを受け入れることを拒否したときに残っていくのです。しかし、もしも、それをあるがままに受け入れると、それらは残らないのです。それらは緊張という形でひっついていきないのです。

フォーカシングは素晴らしいものです。私は今、自分自身ともっと深く繋がっている感じをもっています。なぜなら、私がどのように感じるかという気付きをさらにもっているからです。しかし、フォーカシングの力は、ただそこで止まってはいません。それは、誰もが探し求めているものの根っこに迫るものなのです---不安やなかなか振り払えない「感じ」の癒しに辿り着くのです。、そして、それは小さなことではありません。なぜなら、多くの問題――倦怠感、躊躇する癖、場面恐怖、恐怖症、社会的不安、抑うつ、どもり、パニック、強迫性障害、そして精神分裂病でさえもが、そうしたことによって引き起こされているからです。こうした全てが、からだの中で抑圧された「感じ」や、私たちが気づいていなかったり、あるいは受け入れることを拒絶している「感じ」の蓄積を含んでいるのです。すばらしいことは、そのフォーカシングは、情緒的問題を抱えている全ての人を助けることができるということです。それは、よく知られていないフェルト・センスの世界を開き、また、医師たちがまだ治療の術がないと信じているものを治すということを、私たちに認めさせるのです! 私は、フォーカシングがあまりよく知られていないという事実を悲しく思っています。それは真実であり、それは強力であり、そして、とても多くの人々が信じがたいほど、それによって利益を受けることができるのです。私は、自分が体験してきたことなので知っています。

(翻訳:三谷・池見)

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This page was last modified on 04 May 2004

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